テーマ:ボーイスカウト温故知新

1957年第九回世界ジャンボリー参加者写真

 1957年(昭和32年)、イギリスでベーデンポーエル生誕100周年の第9回世界ジャンボリー(スカウト運動50周年記念ジュビリー ジャンボリー)が開催されました。  ジャンボリーには日本派遣団として20数名の方が参加していますが、その折にパリエッフェル塔まえで撮影した写真を頂きました。セピア色にかわったモノクロを、デジカメで撮…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

少年団日本連盟第三代総長 竹下勇さん

 旧少年団日本連盟第三代総長は竹下勇さんでした。先日ご紹介した、昭和天皇の英国訪問時にB-Pからシルバーウルフ章を贈られて際の、同行者のおひとり。旧海軍軍人で、海軍大将でした。  その竹下総長の団杖と制服の写真が手に入りました。ご覧のとおり、とても綺麗に保管されています。さほど遠くない日、公開されるかも知れません。その時にはまたお…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和天皇とボーイスカウト全国大会

 宮内庁が編集し、東京書籍が出版する「昭和天皇実録」が3月末に第10~第12が発行されました。  その第10、昭和24年9月24日の記事に、ボーイスカウト第1回全国大会に天皇ご一家が出席された事が書かれていますのでご紹介します。  当時の会場の一つとなった日比谷公園は、占領軍司令部(GHQ)により、東京を最初…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

北鎌倉円覚寺 宗教章創設

 今日12月31日は、私が学生時代に所属した大学ローバー隊の隊長であった村山有先生のご命日。お墓は北鎌倉円覚寺にあり、写真を撮りたいとも考えて、久しぶりの墓参。  ご存知の方もいらっしゃいますが、信仰を持つことを推奨するボーイスカウト運動に、宗教章を提案したのは村山先生。1960年の全国会議で仏教章として創設が決議されています。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

【BSトリビア】 戦後BS再建時にGHQ(連合軍総司令部)と交渉した日本側担当者

 往々にして、歴史が書きかえられる事が多いのはご承知の通りです。編集した人物やそれを指示した方の都合良きようようになるのはご承知の通り。我がボーイスカウトでもその例にもれず、例えば連盟史でも「おや?」と思う事がしばしば。このブログの何処かにも、日本連盟の度重なる移転が正しく伝えられていない事は書きましたが、このような客観的な事実すら…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

第一回フィリピンジャンボリーの参加章と初日カバー

 フィリピンジャンボリーに付いては前述の通りですが、村山 さんは切手の熱心なコレクタで、ウィキペディアには「切手収 集家としても知られ、切手愛好家団体「東京切手会」を創立 し初代会長を務めた。また、日本スカウト切手協会(NSOSS) 会長、世界スカウト切手協会(SOSSI)副協会長として、「全日 本ボーイスカウト大会」記念切手…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

機関銃に守られた、ボーイスカウト日本派遣団のジャンボリー大行進

 昭和40年4月、三島通陽第四代総長の逝去があり、村山有さ んは、追悼の意をこめた「三島総長と二十年」と題した追悼小冊 子を発行しました。その中に、「決死の日の丸行進 マニラ市ル ネタ公園の感激」と題した文があり、最近、この第一回フィリピ ンジャンボリーの写真を頂きましたので、その写真をご紹介がて ら、再度掲載致します。 …
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

第1回極東トレイニング・ザ・チームコース

 興味深い記念写真を頂戴しました。  旧指導者研修ですが、イギリス・ギルウェル野営場でしか開催されなかったトレーニングコースが、日本で開催されました。これを修了してスリービーズ。昭和34年に那須野営場で開催されましたが、ギルウェル野営場の初代所長ジョン・サーマンさんをイギリスから招き、国内からも錚々たる方々が入所しています。記念の…
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

もう一人の”無名”戦士、村山有さん

 今日12月31日は、私が学生時代のローバー隊長であった村山有さんのご命日です。1968年の今日、ボーイスカウト世界会議に出席するため香港に向かう船上で、病のために亡くなりました。  村山有(たもつ)さんは、1905年、米国シアトルに生まれて日本の旧制松本中学に学び、帰国後、サンフランシスコのロースクールに入学し、卒業…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「日本のスカウト遺産百選」出版祝賀会

 大変ご紹介の時機を逸しましたが、この週末に出版祝賀会が開催されます   「日本のスカウト遺産百選」の出版祝賀会 のご案内 私達スカウターがご指導を受けている、矢島巖さんが、このたび日本のスカウト運動の一世紀を拓いた先師・先輩の事蹟と曲折のエピソードをまとめられ、出版いたしました。この出版にあたり、心より好意を抱く私たち…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「日本のスカウト遺産百選」

 矢島巖さん(神奈川連盟参与)が、念願の「日本のスカウト遺産百選」を刊行なさいました。B5版224ページ。その主旨とでもいうものは、矢島さんが主宰する「ビスタワールド」のサイトで述べられています。  語り継ぎたい「日本のスカウト遺産百選」と題して書かれた矢島さんの文と、「日本のスカウト遺産百選」の目次などをご紹介します。私たち…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

山口勝治元東京連盟副連盟長

 1965年(昭和40年)、東京・神田の日本大学においてローバースカウト隊が発隊しました。そして1980年10月26日に、同ローバー隊により発団15周年記念誌が発行されましたたが、その中に掲載された山口勝治日本連盟先達・東京連盟副連盟長(当時)の寄稿をご紹介します。復活直後のわが国ボーイスカウトの様子を垣間見る事ができ、興味深い内容では…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

こどもの国-無名戦士の像-

 横浜市こどもの国にある無名戦士像が作られた契機ともなった、戦時中に南国で、日本人ボーイスカウト出身者が米国スカウト出身者を救ったというお話を紹介する毎日新聞記事を頂きました。  昭和30年代にボーイスカウトへ入隊した私もこのお話を、キャンプファイヤーでのスタンツで演じた記憶があります。或いは今でも、あちこちで演じられているかもし…
トラックバック:0
コメント:3

続きを読むread more

白橋龍夫さん-再建ボーイスカウト受難時代-(産業新潮昭和58年8月号より)

 「産業新潮」という月刊誌があります。その昭和58年8月号に掲載された白橋龍夫さん(日本連盟参与)の寄稿をご紹介します。  戦後のボーイスカウト運動再建では、物心両面からその活動をしっかりと支えた数多くの方々がいらっしゃいます。この白橋さんもそのお一人で、ご自宅はもちろん、経営していらっしゃった(株)白橋印刷所の社屋を需品部として…
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

西岸 良平さん作「三丁目の夕日夕焼けの詩 ボーイスカウト」

 石川連盟が配布する(した?)スカウト募集パンフレットを入手しました。石川連盟を訪問した矢部さんからのプレゼントです。少年が頼もしい班長とめぐり合うというストーリーですが、昭和59年に"少年マガジン"に掲載された「夕焼けの詩 ボーイスカウト」です。「三丁目の夕日」は現在、ビッグコミックオリジナル(小学館発行)に"お引越し"をして掲載され…
トラックバック:1
コメント:1

続きを読むread more

我らが総長B-P卿は、「ベーデン・パウエル」か「ベーデン・ポウエル」か(続)

 友人から、ポーエルかパウエルかに付いてメールがありました。  それによれば、村山先生はB-P夫人の「私の夫はポーエル」発言以前から"ポーエル派"。敢えて夫人に、久留島総長の前でこの発言をして下さる様、お願いしたのではないかともメールにありました。  学生時代、先生は英語講師として大学に勤務、時々私たちにカレーライスを奢って下さ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

野口聡一茅ヶ崎第2団ビーバー隊副長のブログ

 ネットサーフィン(死語)していたら、野口聡一さんのブログを見つけました。ご存知、宇宙飛行士の野口さんです。野口さんが「ボーイスカウトである事が選抜の理由の一つ」と読売新聞に紹介されたのを知り、早速勝手に野口さんの応援を開始しました。私たちには恰好の"販拡"資料。私如きとは対極の方で、少年時代に宇宙飛行士になりたいと望み、そのための努力…
トラックバック:2
コメント:2

続きを読むread more

我らが総長B-P卿は、「ベーデン・パウエル」か「ベーデン・ポウエル」か(結論)

 嗚呼、我がボーイスカウト連盟も、「アメリカのポチ」であったか。  この写真は、村山有先生の生誕100周年を記念して作られた切手(正式な名称があるが、失念)のカバーに掲載されている、「B-P伝」初版の表紙写真です。なんと、我がブログの中に富士スカウトクラブが作成した説明資料が紹介されており、その中に、今回私が書き散らした"…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

我らが総長B-P卿は、「ベーデン・パウエル」か「ベーデン・ポウエル」か

 私の手許にある我が日本連盟の出版物に、「Baden-Powell伝」がある。昭和42年に初版が発行されたのだが、私のものは昭和63年の再版。昭和50年に改訂されたものの再版である。  ところで、ガールスカウト日本連盟の資料やウェブサイトを見ると、運動は「子どもたちの幸せな人生をいつも一番先に考えていた、ロバート ベーデン-ポウエ…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(13) 東京連盟葬での石坂泰三日本連盟総裁の弔辞

ボーイスカウトの機関誌『スカウティング』昭和四十四年(一九六九年)二月号に「村山有氏をしのんで」の特集があり、そこに昭和四十四年(一九六九年)一月十二日に挙行された東京連盟葬での石坂泰三日本連盟総裁の弔辞(友人代表)が掲載されていますので、そのまま再録する。  「ボーイスカウト日本連盟常任理事、広報委員長、第十三回世界ジャンボ…
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(12) 『三島総長と二十年』(村山有著)より抜粋

『三島総長と二十年』(村山有著)より抜粋  昭和四十年四月二十日・・・生涯忘れられない日であった此の日の朝久留島秀三郎先生(ボーイスカウト日本連盟理事長、東京連盟長)と三島通陽総長が危篤状態を脱した事は全く奇跡であるとお互いに悦んだ。然し運命は残酷であった最早此の時、三島通陽総長は脳溢血を併発して最早絶望に陥っていた。神宮通りの伊…
トラックバック:0
コメント:3

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(11) 一〇、ボーイスカウト東京連盟葬(築地本願寺)

一〇、ボーイスカウト東京連盟葬(築地本願寺)  村山有は、昭和四十三年(一九六八年)十二月三十一日、六十三歳で死去。昭和二十七年(一九五二年)六月、日本連盟相談役になってからは永年スカウト運動の第一線から離れていたが、翌年、第十三回世界ジャンボリーを日本に誘致する世界会議に世界各国のスカウト仲間から呼ばれ、出席のため渡航中…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(10) 九、仏教章、日本富士スカウトクラブ・FSCJ ( FUJI SCO

九、仏教章、日本富士スカウトクラブ・FSCJ ( FUJI SCOUTS CLUB of JAPAN )  外国のジャンボリーなどのスカウト行事には必ず野外礼拝があり、各宗教の記章がある。昭和三十五年(一九六〇年)五月、松山市で開催されたボーイスカウト全国会議で、村山有は「ちかい」の中に、「神(仏)と国とに誠を尽く…
トラックバック:0
コメント:7

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(9) 八、日本スカウト切手協会、「スカウト切手の研究」(『スカウティング』掲

八、日本スカウト切手協会、「スカウト切手の研究」(『スカウティング』掲載)  村山有は、戦後、中央郵便局の白石局長時代に、外国にある「切手普及部」のようなものを新設すべきと提案し、中央郵便局にようやく「切手普及部」ができた。また、切手愛好家を集め東京切手会を創立し初代会長になった。 昭和二十四年(一九四九年)にはボーイスカ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(8) 七、『ベーデン・ポーエル伝 』 ~ 『 THE TWO LI

七、『ベーデン・ポーエル伝 』 ~ 『 THE TWO LIVES OF A HERO 』、BP一家との交流   昭和二十四年(一九四九年)からべーデン・ポーエル(BP)夫人オレーブさんと手紙をやり取りしたり、渡英時には訪問したりして交流があった。また、息子のピーター氏とも交流していた。ピーター氏が英国国…
トラックバック:1
コメント:2

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(7) 六、ボーイスカウト東京七〇隊、ゴールデン・アロー、早稲田ローバース

六、ボーイスカウト東京七〇隊、ゴールデン・アロー、早稲田ローバース  東京七〇隊は、村山有を育成会代表として結成された。隊のネッカチーフの色は【赤】に決め「菊水のマーク」を入れた。 少年隊の班には、菊水班、山桜班、鳳凰班、白龍班という特徴のある班名がついた。隊長は海洋少年団出身の飯盛勲氏が就任した。初期の海外派遣団の班名も…
トラックバック:1
コメント:2

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(6) 五、日本大学ボーイスカウト公認指導者講座

五、日本大学ボーイスカウト公認指導者講座  戦後、ボーイスカウト再建には指導者の養成が不可欠であるとして、三島通陽総長、内田二郎氏、村山有等でスカウトクラブを始めた。 GHQの関東民政部教育官M・B・スティング氏より、米国の大学ではボーイスカウト科目があるので、日本も将来これ相応のものを行うべきで、まずどこかの大学にスカウ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(5) 四、無名スカウト戦士(ウエーク島)、姉妹都市提携(People-to-

四、無名スカウト戦士(ウエーク島)、姉妹都市提携(People-to-PeopleProgram)  昭和二十六年(一九五一年)のソルトレーク市の「BS桜樹募金」の時、その募金の相手が戦時中、自分が捕虜になった時に世話になった村山有氏と知った同市在住のM・L・ストリーター氏(Mark L.Streeter)は息子と一緒にグ…
トラックバック:1
コメント:2

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(4) 、ボーイスカウト東京都連盟初代理事長、隊旗授与式、国際親善(桜樹贈呈式

三、ボーイスカウト東京都連盟初代理事長、隊旗授与式、国際親善(桜樹贈呈式)、百隊結成記念祝典  昭和二十二年(一九四七年)五月一日、ボーイスカウト東京都連盟は、日本連盟再建の為の臨時中央理事会発足と同じ日に、仮東京都連盟としてスタートした。  昭和二十四年(一九四九年)四月二十九日に東京都教育庁で正式に東京都連盟結成…
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

村山有とボーイスカウト(3) 二、ボーイスカウト第1回全国大会(東京・日比谷)

二、ボーイスカウト第一回全国大会(東京・日比谷)  昭和二十四年(一九四九年)、「ボーイスカウト第一回全国大会」を開くことになり、開催場所として当時はまだ日本人が近寄ってのぞき見することさえ許されなかった日比谷公園(ドゥリトル・フィルド)を考えた。  占領軍は日比谷公園に金網を張り巡らして「ドゥリトル・フィルド」と名前を…
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more