阪神淡路で災害ボラとして活躍したスカウトたち

 1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生し、6,434人が犠牲となった。今日で18年になる。
当時、Niftyserve上でScoutingWorldなるフォーラムを運営する一員であった私は、仲間と共に、今風に言えばネットワーク上で呼びかけ、シニアスカウト(当時)による災害ボランティア活動を呼び掛けた。
 賛同して参加してくれたのは50名近いスカウト・リーダと記憶している。高校生が春休みとなる3月下旬、埼玉・東京・神奈川・愛知・岐阜などから集まったメンバは、確か芦屋市にある兵庫連盟の拠点へ集合した。手続きをすませ、目的地の神戸市東灘区住吉へ。日本連盟の現地対策本部は「もう人手は足りている」とのたまったのであるが、震災直後から現地入りして活動していた早稲田ローバースの纐纈さんへ問い合わせ、この地を選択した。当然ながらこの頃でも、衣食住は持参。人数を聞いて現地ボラセンは「そんなに宿泊できる場所がない」。一切を持参する旨をお話し、受け入れが決まった経緯がある。

 この写真は住吉公園。そこが一杯になるほどテントを張り、私たちの拠点とした。
画像


 早速作業を開始。特に決まった作業はなく、近くの区役所のロビーに貼られた"求人一覧"中より選択し、職員の指示を受けた。海沿いの液状化による泥の片付け、浴場の釜焚き、チラシ配布、仮設のケアなどが記憶に残っている。特に、仮設住宅居住者の「御用聞き」。全ての仮設にある家具類の配置は同じで、家具の再配置の依頼が多かった。また、建てつけが悪くなったり、壊れて修理を依頼されることも。基本的にはユニフォームで活動するようにしたので、取り敢えず居住者の方々には安心感を与える事が出来、上がり込んでお茶やお菓子にありついたスカウトも多い。お世辞抜きに、一週間程の活動中、スカウト達はとてもよく動いてくれた。18年も経っているので、彼らの顔も忘れかけている。当時高校生であった彼らも、今では30代なかば。恐らくは今回の3.11でも、さまざまな形で支援活動を行ってくれているものと考えている。今のようにデジカメなんて便利なものはなかったので銀塩写真。全員をご紹介できないのが残念ですが、彼らの生き生きとした表情をどうぞ。
画像


画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック