もう一人の”無名”戦士、村山有さん

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 今日12月31日は、私が学生時代のローバー隊長であった村山有さんのご命日です。1968年の今日、ボーイスカウト世界会議に出席するため香港に向かう船上で、病のために亡くなりました。

 村山有(たもつ)さんは、1905年、米国シアトルに生まれて日本の旧制松本中学に学び、帰国後、サンフランシスコのロースクールに入学し、卒業後はサンフランシスコ・クロニクルの記者として勤務しました。その後の1938年に再度来日し、その後は日本で、ジャーナリストとして活躍しています。英字紙ジャパンタイムスの社会部長などを勤めました。
(詳細はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E6%9C%89 をご覧ください。ただ、そこでは村山さんを「日本人」として記述していますが、村山さんは米国人であり、戦後、その当時に何かと有利であった米国籍を敢えて放棄し、日本国籍を取得しています)

 戦後のボーイスカウト運動再建に多大な功績があり、村山さんなくしては再建がならなかったろうと評価される方です。戦時中にはすでに日本のボーイスカウト運動(大日本少年団)に参加し、軍部の命令によってそれは解散させられましたが、その解散のセレモニーは、村山さんの目黒の自宅で行われました。戦後の旧東京第70団団委員長・東京連盟初代理事長です。村山さんは、私が学生時代のローバー隊長(東京第149団青年隊・現新宿第2団ローバー隊)でした。私が学生時代、村山さんはほとんど戦後のボーイスカウト運動再建で果たした役割をお話になりませんでした。2005年、日本富士スカウトクラブ主催の「村山有生誕100周年」の集いが開催され参加させて頂きましたが、そこで配布された小冊子を拝見して、「村山さんなくしては、ボーイスカウト運動は再建されなかった」と驚きました。さらにはその著書「終戦のころ」(亡くなった12月に時事通信社から発行)をようやく入手して読み、「取材記者として、あるいは通訳として連合国総司令部(GHQ)に足しげく出入り、そこにいたアメリカ時代の数多くの友人、知人の助けを得て(同書を要約)」果たした役割を知り、更に驚いています。ご存命中、それらの興味深いお話をうかがう機会のなかった事が悔やまれます。

 前置きが長くなりましたが、それらから得た情報や近親者の方からお聞きしたお話をもとに、敢えて「もう一人の”無名”戦士、村山有さん」と題した無名戦士のお話をご紹介させて頂きます。


 米国ユタ州の人々は、戦時中に強制移住させられた日本人・日系人を援助、大きな犠牲を払って下さった事で知られています。特にモルモン宗派の人々は、大学教授や公人を集めて人権擁護委員会を組織、無力な日本人を援助して下さいました。

 このような善意に対し、終戦後、ソルトレーク在住の日本人・日系人たちが市内に作られた平和公園に、謝意を象徴するものとして日本庭園を寄贈しました。それに呼応したのか日本でも、ボーイスカウト再建がGHQに許可された事や、数々の支援への感謝の証として、ソルトレーク市の動物園と動物交換(交換と言うよりは、ソルトレーク市からのプレゼントの意味合いが大きかったと聞いています)をしてきた上野動物園と共同して募金活動を行い、千本余りの桜をソルトレーク市に寄贈することになりました。昭和26年(1951年)3月11日に皇居前広場で「桜樹贈呈式」を行い、前年に米国の桜樹輸入許可を取り、パンナム機で米国へと空輸しました。

 ところが、米国中西部地域は果樹園地帯のため、空輸された桜が未知の病原菌に侵されていた場合にはその地域の果樹園に回復不能の被害がでると恐れたシアトルの検疫所は、それらをすべて焼却してしまいます。桜樹が届かなかったために、ソルトレーク市議会は公費での空輸代金支出が出来ず、空輸代(当時で約54万)の請求は村山さんへまわされました。その当時、病気のお子さんがいて大変な時期であったそうですが、家を処分して空輸代を支払うことになりました。

 しかし、このことが米国の新聞などで報じられてから、在米の日系人やソルトレークのボーイスカウたちによる「ボーイスカウト桜樹募金」が作られ、広く募金が開始されました。また、グレード市長も募金委員を指名して全米に呼びかけ、「桜樹市民募金運動」(Cherry Tree Fund)を展開して多額の募金を得る事ができました。その後パンナム社は、「そのような善意のお金は受取れない」と空輸代請求を取り下げ、募金で集まったお金は米国国内で桜の木一千本の購入代金となります。当初の願い通り、それは平和公園のジョルダン河畔に植樹されました。

 この桜樹募金の時、同市在住のM.L.ストリーターさんがグレートソルトレーク連盟を訪れ、「ウエーク島で飛行場建設中に戦争が始まり、捕虜として日本本土に連行された。その時、米国のボーイスカウト出身の村山さんに命を助けられた。収容所などで病気やケガで苦しんでいる時に薬や傷の手当てをしてもらったので、今ではソルトレークに戻り、家族と幸せに暮らすことが出来ている。その村山氏が苦労している。協力して欲しい」と、大戦中のお話をしたそうです。ストリーターさんは、昭和16年(1941年)12月の日米開戦時、軍属としてウエーク島で飛行場建設にあたっていたのですが、日本軍の捕虜となって、ヘンショー少尉と共に日本へ移送され、市ケ谷の文化キャンプに収容されています。村山さんは松井翆声さんらと共に、憲兵隊にゼネバ会議の協定を守るよう申し入れたり、栄養失調や病気に悩む捕虜の支援をおこなっていました。余談ですが、当時は食料難でしたが努力して野菜を集め、収容所へ差し入れています。それが戦後、「捕虜に木の根を食わせた」と言う誤解で、GHQへ連行された事もありました。この「木の根」と言われたのは、実はゴボウであったのですが。

 このストリーターさんのお話は、昭和27年(1952年)4月、シカゴ第七地区総会時、米国連盟シャーク総主事により、「ウエーク島で傷を負った米国兵が、米国でスカウト教育を受けた日本兵に助けられた。その時『自分もスカウトで、同じスカウトは殺せない』という崇高な行為があった」と紹介されました。このお話は「無名戦士 unknown Soldier の話」として全米に広まります。その後のボーイズライフ誌にも、大きく掲載されていました。

 この事を知った日本連盟では「米国ボーイスカウト出身者」の部分を「少年団出身者」へと変え、戦時中の美談として理事長名で各国に紹介しています。その後、シャーク総主事は来日の折、三島総長へ「その人を捜して欲しい」と依頼しました。三島総長は村山さんにそのお話をしましたが、村山さんは「一方が困った時、他方が助けた」という<時と場所を超えた二人の奇縁(ご本人の日記より)>と驚くとともに、「善行を行った者は、自分から言いふらすものではない」と、名を伏せるよう総長へお願いしたようです。

 その後村山さんは、昭和29年(1954年)6月上旬のシフ・ナショナル・トレーニングスクール入所で渡米の際にソルトレーク市に立ち寄り、グレートソルトレーク連盟に日本兵に助けられたと連絡して来た方の事を尋ねました。その後同連盟より連絡が入り、文化キャンプに収容されていたストリーターさんだったことを知ります。この方以外にも、セントルイスの新聞に「戦時中、ボーイスカウト出身の日本人が、東京の捕虜収容所で米人将校の世話をして命の恩人として感謝されている」という話も大きく掲載された事があります。コレヒドールで捕虜になったセントルイス出身のE.カルフレイシュ大尉が収容所で病に倒れた時、村山さんが医師や薬品の手配をして助けた事を扱った記事でした。この大尉とは、渡米した折に再会しています。地元紙セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙は、「命の恩人来る」と写真入りで大きく報じ、「村山氏がボーイスカウト精神を発揮したのだ」と紹介しています。昭和29年(1954年)8月、日本の全国紙にもこのセントルイスでの記事が写真入りで紹介されましたが、この件は当時のアイゼンハワー大統領の知るところとなり、昭和31年(1956年)9月、「戦争中であっても、米国でスカウト教育を受けた日本兵が市民レベルの個人として崇高な行為を行っていた。国の外交だけが重要でない。世界平和と相互理解増進のために、「人と人の連携」市民による親善活動(People-to-People)の姉妹都市が重要だ。」と提唱するに至りました。日本では長野県松本市が、村山さんの仲立ちでソルトレーク市と姉妹都市になりました。また、飛騨高山とデンバーの姉妹都市提携のお手伝いも行っていますが、高山・デンバー友好協会のウェブサイトには、ユニフォーム姿の村山さんの写真があります。「どうしてボーイスカウトの制服姿の方が写っているのか、知らなかった」と、担当の方はおっしゃっていたとか。

 村山さんは、桜樹募金の残金で昭和32年(1957年)のボーイスカウト創始五十周年記念事業として「無名スカウト戦士」の像を製作する事を三島総長と相談し、知人の彫刻家横江嘉純さんに依頼しました。その像は、米国から最初に伝わってきた南洋諸島での日本人スカウトの善行話をイメージし、その話をスカウトが聞いているという形で作られています。製作費不足分は、スカウト切手シールを作成して各隊に販売して集めています。それはいま、横浜市の「子供の国」にあります。

 以上が私の知る「もう一人の”無名”戦士」、村山有さんお話です。シャーク総主事によってお話のあったエピソードも、実話としてあったのかも知れません。両方ともあったのかも知れませんし、いずれかの一方だけがあったのかも知れません。しかし、私たちの運動の主旨から考えますと、どちらのお話もありそうな気がしませんか?

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