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zoom RSS 山口勝治元東京連盟副連盟長

<<   作成日時 : 2010/05/02 23:34   >>

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 1965年(昭和40年)、東京・神田の日本大学においてローバースカウト隊が発隊しました。そして1980年10月26日に、同ローバー隊により発団15周年記念誌が発行されましたたが、その中に掲載された山口勝治日本連盟先達・東京連盟副連盟長(当時)の寄稿をご紹介します。復活直後のわが国ボーイスカウトの様子を垣間見る事ができ、興味深い内容ではと思います。ちなみに山口さんのご子息陽さんは、早稲田ローバースを創設したお一人。また、発団当時の日大ローバーには、私の弟が第一期生として参加していました。

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日本大学ローバースカウト隊発団15周年記念誌より
      昭和55年(1980年)10月26日 発行


      「発団15周年おめでとう」
  日本連盟先達/東京連盟副連盟長  山口勝治

 日大ローバー発団15周年の健闘と栄光を称え弥栄を捧げる私は、その前に昭和22年5月17日に明治神宮外苑広場で開催された、連盟復帰の記念ラリー・営火の催しを忘れることは出来ない。

 日本のBSとしては全国に先駆けた大会でもあったろうが、東京から5隊、横浜は1隊のみしかなく(団制はずっと後)制服はまだ制定されず、ネッチの代わりに小綺麗な風呂敷を襟にまとった様相は招待席の米軍家族のスカウト達と比ぶべくもない。だが行事の内容は素晴らしかった。

 先づ第一に、学習院の制服制帽の皇太子殿下は終始席を離れて、スカウトの作業やケームを微笑みを以って御高覧、そして拍手を以て一同と共に御激励(英語教師バイニング夫人、CIEの青少年主任ダーギン氏も来席、また異色の来賓としては折から来日中の時の人、少年の町で高名のフラナガン神父も最後まで御一緒に観覧された程の盛会であり、殿下には日本連盟に最初の記念基金を寄せられたと後に拝承した。

 貴賓席と行事の運営進行の最重要な奉仕をされていた一委員が閉式(と称すべきだろう)後、私に手をさしのべ、「あなたも古くからの少年団指導者だったそうですね」と簡潔鄭重なお言葉。流石は貴賓席で通訳されたお人、ハイと答えたのは指導者云々のことは、来席奉仕の内田二郎先生から聞かれたのであろうと思ってのこと、温情の握手を交された後に「BS復帰の日に会えてよかった。これからも運動のために大いにやって呉れ給え。」とギユッと握り返された。その温もりは今もって忘れるものではない。


 「日本大学での指導者講習会

 当時、BS指導者懇談会なるものが言うまでもなく非公式ながら毎月芝高輪の森村学園で開かれていた。事の起こりはGHQの顧問ダーキン氏が講師格で、米スカウト出の鳴海、山田、村山、内田、本荘先生、それに三島(後の日連総長)等が日本にBS再建を念願の協議懇談の集会を重ねていた。私も勧められて毎月第一金曜の夕6時より末席を汚して拝聴したが、時未だ終戦直後のことなので進駐軍下の統制厳しく、ユニフォーム、敬礼、号令行進はしないこと。但しスカウトサインは許可という状態であった。しかし鳴海兄弟を始め日系スカウト人の集まりであり、R・ダーギン氏は多年YMCAの指導者であり日本の習慣人情を知悉した親日米人で、私の仄聞したところでは、終戦協定の調印式の行われる、芝浦碇泊の米艦ミドウェーに日本天皇も出席するようにという米軍側の強硬な意見に対し、真向から反対したという人物であった。

 村山有先生は信州松本のお生まれと伺ったが、長いこと北米に在勤。帰国後はジャパンタイムスの重鎮として活躍、日米親善に全力を捧げ尽くされた人で、文筆人であったとは言え著書も沢山残されたが我々BSの道を往く者として宝典と仰ぐのは、THE TWOLIVES OF A HERO「ベーデン・ポーエル伝」昭和42年、BS日本連盟出版の訳著であろう。この労作は村山先生の親友であり、B・Pの信頼の厚かった高弟ヒルコート氏と、B・P夫人の共著が原書であるが、村山先生の純情と熱意により著作翻訳権を供与せれたもので、日本のスカウト青少年と全指導者は精読してその精神を身心に体すべきものである。

 村山先生の愛国心と純情は、戦前戦後本邦在留の数多の知名の士を我々の同志に引き入れ、その人々は内外の人々に日本の美と徳性を紹介した。

 戦後南方の各地に拘留され苦難生活をされたオランダのハウト少佐は東京に在留されたころは、一指導者として東京のスカウトと行を共にされギルウェルの3ピースを胸に、日本の青少年を称えられたし、佐渡で数年少年たちを指導されたカール・ライツ神父は武蔵野第一隊を発隊させ、東京連盟の理事として奉仕された。

 終戦直後の混乱の時代であり、青少年教育活動については とくGHQの制約支配下にあって、最も印象深く有難かったのはこれも村山先生の努力によって、GHQ教育局長のM・ステイグ氏(後に日大を経て、日本の文学博士の学位を獲た親日学者)は御子息が米本国のスカウトという理解もあって国尚ほ浅い我々の為めというより日本のBS再建の為めに非常な努力を惜しみなく供与して呉れたことである。

 東京では23年1月31日に、千代田区の富士見小学校の一教室を借りて指導者講習会(35名参加)を開設し、その後社寺、教会や村村会の青年集会所等に交渉して、畳敷き、会場によっては板の間に風呂敷きに座して名称もある時はBS指導者養成会という名で現在の講習会を開設継続したものであったが、25年4月18日より指導者公認講座として会場は日本大学、総責任者は村山有そして講師陣は前記ステイグ氏を始めとして前記外人諸氏全員の豪華版、出席参会者も52名という盛大なものであった。

 日大の有志学生は元より、学外よりも相当多数の出席、童心に還った一同は和気に溢れて大教室にゲームと歌に打興じた。殊にステイグ氏の身振りと共に指導の歌は誠に面白く、大喜びで皆懸命に習い覚えるのだった。また、R・ダーギン氏は講義の最終の一言に「以上の如くB・S精神に育成された少年達は、将来世界平和に寄与する者で、現在の日本の青少年にとって今日程BS教育の肝要な機はなかったであろう。」の結語は感銘に満ちたものであった。

 日本大学での指導者講習会は此の期だけでなく、その後も年間季節毎のように開設されたが、会場も広く適切、交通も至便であった関係で毎回出席者は増加するばかりであった。こらは呉先生の熱意と、それを承けてこの行事に懸命の奉仕を以て尽くされた荒尾先生の御努力に厚く感謝申上げるものである。

 後年、私共待望の日大ローバーが結成されたと聞き、これでこそ日本の青少隊(当初はこう呼んだ)の活躍の光明指針を与え栄光をもたらすものと喜んだのは私ばかりではなかったろう。

 名誉顧問の岩井肇先生は実修所で、また、世界ジャンボリーで同行欧州各地でお世話を頂いた御縁の先生、益々御健勝に俣賀先生と共に御指導の程お願い申上げます。

弥栄

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