こどもの国-無名戦士の像-

 横浜市こどもの国にある無名戦士像が作られた契機ともなった、戦時中に南国で、日本人ボーイスカウト出身者が米国スカウト出身者を救ったというお話を紹介する毎日新聞記事を頂きました。

 昭和30年代にボーイスカウトへ入隊した私もこのお話を、キャンプファイヤーでのスタンツで演じた記憶があります。或いは今でも、あちこちで演じられているかもしれませんね。実際にはそのお話の舞台となった島の名は判明していて、サンゴ礁のあの島に、メッセージを下げられるほどの立木はない事も事実なのですが、いまさらあれこれあげつらって事の真偽を問いただす必要もありますまい。米国ボーイスカウトの責任ある立場の方がそれをご紹介し、日本連盟がそれに反応、そしてそれが新聞記事となって全国に伝えられた。その瞬間、それは事実となったのです。

 当時のアイゼンハワー米国大統領が昭和31年9月、「戦争中であってもスカウト教育を受けた日本兵が、市民レベルの個人として崇高な行為を行っていた。国の外交だけが重要でない。世界平和と相互理解増進のために、「人と人の連携」・「市民による親善活動(People-to-People)の姉妹都市が重要だ。」と提唱するに至っています。一人の日本人の行為が、米大統領を動かしました。素敵な功績です。実際とは異なる行為がこのような形に「変化」し、そしてそれが例えば姉妹都市提携として結実する。そして、子ども達の記憶にも留められる。大切なものを得たような気がします。

 昭和27年8月27日の毎日新聞に紹介されたこの記事が、私達のとっての事実と言う事ですね。

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この記事へのコメント

坂本 正志
2010年03月27日 12:39
新聞記事の写真を見て思い出しました。

 この時代は、ユニフォームを簡単には入手できぬ時代でした。昭和30年(?)の入隊当時、ネッカチーフとキャップ(米兵が使用する略帽。写真右の握手しているリーダが使用)のみ。それでしばらくは活動していました。数年後にようやく上着を入手。北海道キャンポリーが札幌の北海道大構内で開催されましたが、その時に県名章などの肩章を、毛糸の文字で作っていたスカウトを見かけました。

 ジャンボリーなどの参加要領に、制服・正帽とよく記載されています。当時は「無駄遣いせずにお小遣いをため、それで制服を買おう」と教えられ、公式文書などにもそのような記述がありました。確か団の作り方の書籍に、「発団時にハットから靴まで揃えた団が、潰れた」と言うような記述もありました。

 いまのジャンボリーに昔のスタイル(キャップとネッチ)で参加、「お小遣いがまだたまりません」と言ったらどうなるのかなあ。
りんご
2010年09月04日 22:42
おじゃまします。東京でカブ隊長をしています。
2回ほど「信仰」をテーマに、こどもの国にある無名戦士像を磨きに行きました。
戦時中に本当かな~などと思ったりしたのですが、この新聞記事は素敵ですね。さっそく活動に取り入れます♪ありがとうございます。
坂本 正志
2010年09月05日 12:30
 このアンノウン ソルジャーの一件は、米誌boyslifeにも大きく掲載されています。そのコピーを以前入手したのですが、現在行方不明(^^;;

 カブくんへご披露なさるのであれば、野口聡一さんが宇宙飛行士に選抜された事を紹介する読売新聞記事もどうぞ。「ボーイスカウトの経験が認められた」と、わかりやすく書いてあります。下手な広報資料より、よほど有効です。

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