我らが総長B-P卿は、「ベーデン・パウエル」か「ベーデン・ポウエル」か(続)

 友人から、ポーエルかパウエルかに付いてメールがありました。

 それによれば、村山先生はB-P夫人の「私の夫はポーエル」発言以前から"ポーエル派"。敢えて夫人に、久留島総長の前でこの発言をして下さる様、お願いしたのではないかともメールにありました。
 学生時代、先生は英語講師として大学に勤務、時々私たちにカレーライスを奢って下さいました。「講師料なんて、君たちにカレーを奢ると無くなってしまう」と笑いながら、学内の会館へ。学食のカレーは確か45円でしたが、会館のカレーは三桁の金額。目の前のカレーに気を取られ、B-Pをどう発音していたかは綺麗さっぱりと忘れています。情けない……。昭和40年前後の頃です。

 再度整理すれば、パウエル→ポーエル→パウエルと発音は変化しています。しかし、それはB-P伝に限ったこと。全体から見れば、B-P伝だけが一時期ポーエルと表記されていたに過ぎません。翻訳権をヒルコート氏や夫人から頂戴し、玉川大出版部門から発行する予定を「50周年記念事業として、ぜひ日本連盟から出して欲しい」との要請に応じて変更しました。その時の条件として、「パウエルではなく、ポーエル」を出したと聞いています。事実、その通りの名で出版されていますから、この条件は事実です。

 先生の没後、別出版社からベーデンパウエル伝と書名を変えられ、別人が"翻訳"したことにして発行されました。内容を見ても、村山先生の翻訳本を改訂しただけなのです。関係する皆さんは既に故人。その名誉を傷つけることは避けねばなりませんし、その意図もありません。「どうしてそのような工作をする必要があったのか」を、知りたいだけ。先生の没後、ヒルコート氏からご遺族にお手紙があり、B-P伝"翻訳料"にふれていたとお聞きしましたが、実際には出版にともなう金銭的収入はありませんでした。恐らくは日本連盟に入っているでしょうし、それは、先生のお考えに沿うものと思います。出版できた事だけを、喜んでいらっしゃったと聞いていますし。

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