我らが総長B-P卿は、「ベーデン・パウエル」か「ベーデン・ポウエル」か(結論)

 嗚呼、我がボーイスカウト連盟も、「アメリカのポチ」であったか。

画像


 この写真は、村山有先生の生誕100周年を記念して作られた切手(正式な名称があるが、失念)のカバーに掲載されている、「B-P伝」初版の表紙写真です。なんと、我がブログの中に富士スカウトクラブが作成した説明資料が紹介されており、その中に、今回私が書き散らした"疑問"への解答が記述されていた。

 http://be-prepared.at.webry.info/200610/article_11.html

 満天下に恥をさらしてしまった。「資料をきちんと読んで理解する作業を放棄、単に貼り付けただけ」って事が、バレてしまったのである。ま、私の友人知人達は、「ほ、またやったか」と気にもせぬが。

 居直れば、前述の「我らが総長B-P卿は……」の記述に(ほとんど)誤りはない。B-P夫人は、度々「私の夫の名はポーエルです」(ポウエルの表記を、ポーエルに訂正)とおっしゃっているし、「B-P伝」初版にもポーエルとなっている。パウエル→ポーエル→パウエルと変化した経緯は、「いまさら創始者名を変更するのは恥ずかしい」と考えたからであろうか。実際、私の持つ連盟出版物で、B-P伝以外でポーエルとしているものはない。この一冊だけがポーエルということ。「困ったな、全部の出版物で修正するのは大変だ。ま、一冊だけだし、聞かなかったことにしよっ」と考えたか。

 「べーデン・ポーエル伝」のB-P卿の氏名表記「ポーエル」は、訳者(村山先生)死去後の昭和50年改訂版では、B-P夫人の希望に反し、なぜか「パウエル」に変えられた。さらに平成4年、BS関係者"翻訳"で『ベーデン・パウエル―英雄の2つの生涯 』と名をかえて産業調査会から出版された。この本は、昭和56年にヒルコート氏から日本語訳出版を薦められたと書いている。あれ?これって、「B-P伝」じゃないの?アマゾンで検索したら、"翻訳"となっていた。翻訳したのは村山先生だし。ま、「我がボーイスカウト連盟も、アメリカのポチであった。」はジョークとして、なぜこのように"手のこんだ事"をするんだろう。どうもよくわからない。もう少し、調べてみよう。

 なお、掲載した写真左のサインはヒルコートさん。ヒルコートさんはサインに班長の二本の線を必ず入れるそうです。ニックネームは「グリンバービル」とか。






ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック