村山有とボーイスカウト(5) 四、無名スカウト戦士(ウエーク島)、姉妹都市提携(People-to-

四、無名スカウト戦士(ウエーク島)、姉妹都市提携(People-to-PeopleProgram)

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 昭和二十六年(一九五一年)のソルトレーク市の「BS桜樹募金」の時、その募金の相手が戦時中、自分が捕虜になった時に世話になった村山有氏と知った同市在住のM・L・ストリーター氏(Mark L.Streeter)は息子と一緒にグレートソルトレーク連盟を訪れ、「ウエーク島で飛行場建設中、戦争が始まり日本に連行されたが、米国のボーイスカウト出身の村山氏に命を助けられた。病気やケガで苦しんでいる時、薬や傷の手当てをしてもらったので、ソルトレークに戻り家族と幸せに暮らすことが出来た。その村山氏がボーイスカウトの再建で苦労しているので協力して欲しい」と大戦中の話をその場にいた人々にした。

 ストリーター氏は、昭和十六年(一九四一年)十二月の日米開戦時、軍属として「ウエーク島」で飛行場の建設をしていた時にヘンショー少尉と一緒に捕虜になって、市ケ谷の文化キャンプに収容されていた。村山有は松井翆声氏と共に、憲兵隊にゼネバ会議の協定を守るよう申し入れたり、栄養失調や病気に悩む捕虜の支援をおこなっていた。当時は食料難だったが努力し野菜を集めたのに、戦後、牛蒡(ゴボウ)を「木の根を食わせた」と言う誤解も受けた。

 ストリーター氏の話は、昭和二十七年(一九五二年)四月、シカゴ第七地区総会時、米国連盟シャーク総主事により、「ウエーク島で傷を負った米国兵が米国でスカウト教育を受けた日本兵に助けてもらった。その時『自分もスカウトで同じスカウトは殺せない』という崇高な行為があった」と紹介され、この話は(無名戦士 unknown Soldier)の話)として全米に広まった。日本連盟では「米国BS出身者」の部分を「少年団出身者」として、戦時中の美談として理事長名で各国に紹介していた。その後、シャーク総主事は、来日の折に三島総長にその人を捜して欲しい旨の話があり三島総長は村山にその話をした。村山有は、昭和二十九年(一九五四年)六月上旬シフ・ナショナル・トレーニングスクール入所で渡米の際、ソルトレーク市に寄り、グレートソルトレーク連盟に、日本兵に助けられたと連絡して来た親子連れの事を尋ねた。その後、八月中旬、グレートソルトレーク連盟より「日本の米国BS出身者に助けられた募金協力者はストリーター氏」と連絡が入り、自分が文化キャンプで助けたストリーター氏だったことに村山は「一方が困った時、他方が助けた。」という《時と場所を超えた二人の奇縁》~(本人の日記より)に驚いた。三島総長にはその事を報告したが「善行を行った者は、自分から言いふらすものではない」という考えで公表せずそのままにした。少年団出身の多い日本連盟は以前の紹介のまま少年団の美談にしておいた。しかし、ソルトレーク市の人々は、その人は村山有氏だ、私も知っていると言う人が多かった。
 また、セントルイスの新聞に「戦時中、米国生まれで、米国ボーイスカウト出身の日本人が、東京の捕虜収容所で米人将校を世話をし、「命の恩人」として感謝されている」という話が大きく掲載された事がある。それは、コレヒドルで捕虜になったセントルイス出身のE・カルフレイシュ大尉が文化キャンプで大病になった時、米国生まれの村山が医師や薬品の手配をして助けた事を扱った記事であった。

 大尉は帰国後、村山氏に米国に来るように再三手紙をよこした。戦後、村山は米国の指導者講習会に招かれ、渡米した折にカルフレイシュ大尉と再会した。地元のセントルイス・ポスト・ディスパッチ紙は、「命の恩人来る」、「こんな立派な日本人もいる」と写真入りで大きく扱い、「村山氏がボーイスカウト精神を発揮したのだ」と結んでいる。昭和二十九年(一九五四年)八月、日本の全国紙にも、このセントルイスでの記事が写真入りで紹介された。 アイゼンハワー大統領は、昭和三十一年(一九五六年)九月、「戦争中であっても米国でスカウト教育を受けた日本兵が市民レベルの個人として崇高な行為を行っていた。国の外交だけが重要でない。世界平和と相互理解増進のために、「人と人の連携」市民による親善活動(People-to-People)の姉妹都市が重要だ。」と提唱した。

  村山は桜樹募金の残金で昭和三十二年(一九五七年)BS創始五十周年記念事業として「無名スカウト戦士」の像を製作する事を三島総長ときめ知人の彫刻家・横江嘉純氏に依頼した。その像は米国から最初に伝わってきた南洋諸島での日本人スカウトの善行話しをイメージし、その話をスカウトが聞いているという形で作成した。制作費オーバー分はスカウト切手シールを作成し各隊に販売して集めた。今、像は横浜市の「子供の国」にある。

 村山有は昭和二十二年(一九四七年)上野動物園の古賀忠道園長からソルトレーク市のホーグル動物園との動物交換を頼まれて実現した事がある。この交換は、最初は金魚や亀から始め、後にはライオン、ピューマなどの猛獣まで送られてきて、日本の他の動物園にも分けられた。 ソルトレーク市と村山有はボーイスカウトでも親しく交流をしており、国際親善などの行為に対し昭和二十九年(一九五四年)ソルトレーク市の名誉市民に推戴され、ソルトレーク市から「名誉市民の鍵」を授与されている。 村山有は松本市とソルトレーク市がほとんど同じ地形にある事から姉妹都市提携を考えて、親しかった松本市の降旗徳弥市長に話をした。市長は「桜樹贈呈」や「ウエーク島」などの話を聞き、戦時中にそのような崇高な行為があったことに感激し、姉妹都市に賛同した。

 昭和三十二年(一九五七年)英国で開催されたボーイスカウト世界ジャンボリーの帰りにソルトレークに行き、親交のあったグレード市長に松本市との姉妹都市提携の話をした。昭和三十三年(一九五八年)十一月二十九日に両市は手続きを完了して、姉妹都市の提携が正式に成立した。この姉妹都市提携は日米間で十二番目と早い提携であった。
 姉妹都市提携ではもう一つ、飛騨の高山市がある。当時、名古屋郵政局長をやっていた後の郵政省郵務局長曽山克巳氏から、岐阜県の高山市とデンバー市の姉妹都市の提携に尽力してほしいと頼まれた。昭和三十五年(一九六〇年)夏、ボーイスカウト米国ジャンボリーがコロラド州のデンバー市近くのコロラドスプリングスで開催され、村山はジャンボリー大会副野営長を委嘱される。日本派遣団の副団長で参加した村山有は、デンバー・ポスト紙の二世の旧友ビル・細川氏経由で、パターソン市長に会って交渉してこの両市の提携は成立した。松本市も高山市も姉妹都市として成功して立派に成長している。

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この記事へのコメント

至道
2008年10月15日 11:16
写真は右側がロックフェラー二世。左側がスコリノス氏(国際弁護士)。
松本市とソートレイク市の姉妹都市締結の関係で村山有氏にソートレイク市から「名誉市民の鍵」が贈られた。また、戦後の日本ボーイスカウト再建に対し在日米国人からトロフィーを贈られた。
至道
2014年03月20日 08:45
神奈川県の「こどもの国」にある「無名スカウト戦士像」の前にボーイスカウトのユニホーム姿で三指の敬礼をしている「スカウト少年像」があります。この少年像も彫刻家の横江嘉純氏が戦士像と一緒に作成した像で二つセットで横江氏の「スカウト像」です。
少年像のモデルは東京47隊のスカウト山越章君が選ばれ目黒区の横江氏アトリエに通って作成されました

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  • こどもの国-無名戦士の像-

    Excerpt:  横浜市こどもの国にある無名戦士像が作られた契機ともなった、戦時中に南国で、日本人ボーイスカウト出身者が米国スカウト出身者を救ったというお話を紹介する記事を頂きました。 Weblog: be-prepared そなえよつねに! racked: 2010-03-27 12:12