村山有とボーイスカウト(3) 二、ボーイスカウト第1回全国大会(東京・日比谷)

二、ボーイスカウト第一回全国大会(東京・日比谷)

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 昭和二十四年(一九四九年)、「ボーイスカウト第一回全国大会」を開くことになり、開催場所として当時はまだ日本人が近寄ってのぞき見することさえ許されなかった日比谷公園(ドゥリトル・フィルド)を考えた。
 占領軍は日比谷公園に金網を張り巡らして「ドゥリトル・フィルド」と名前をつけ、米軍専用の球場にしていた。東京を最初に爆撃したドゥリトル将軍の名前である。
 村山は、マッカーサー将軍の最高副官ハフ大佐に談判して使用許可を取った。さらにボーイスカウトの大会には天皇ご一家をお迎えするので、張り巡らした金網を取り除き「ドゥリトル・フィルド」という名称も改めてほしいと申し入れ、GHQもこの申し入れを呑んだ。
 この大会当日は天皇ご一家をはじめ、GHQの要人や北海道から九州までの三千人のボーイスカウト代表が参加した大きな大会になった。

 大会初日の九月二十四日は、ドゥリトル・フィルドだった日比谷公園において、天皇・皇后両陛下をお迎えして技能競技会を行った。夜は、大キャンプファイヤーを行う。
 大会初日のその日に、米国のボーイスカウトからボーイスカウト日本連盟旗が贈呈された。翌日の二十五日には日本連盟主催の公式パレードが行われた。スカウト達はボーイスカウト日本連盟旗、大国旗、各隊ごとの日の丸約二百本を持って、日比谷公園から新橋、銀座、日本橋、そして東京駅までの行進を行った。

 この第一回大会で、天皇陛下は三島総長に、大正十年(一九二一年)ロンドンのボーイスカウト本部を訪れてベーデン・ポーエル卿に会った際に、シルバー・ウルフ(銀狼章)を贈られた。その後、エジンバラのスカウトラリーを見学する事になった。その時いただいた銀狼章を戦時中空襲で焼失してしまい残念であると話された。それを聞いた村山有は英国ボーイスカウト本部に連絡し、BP夫人にも直接再発給のお願いの手紙をだした。 その結果、昭和二十六年(一九五一年)八月十六日、英国大使館から陛下に銀狼章は届けられた。
 天皇陛下は直々に、英国のスカウト本部に感謝の手紙を送り、イギリスの本部もその手紙を大変喜んだ。

 昭和二十七年(一九五二年)十月十五日、東京都連盟村山理事長は日本国旗を英国ボーイスカウト本部に感謝の印として贈った。その後、英国ボーイスカウト本部は十月二十九日に国旗交換と言う事で英国旗を、東京都連盟に贈ってきた。
 この英国旗は昭和二十七年(一九五二年)十一月九日の皇太子殿下の御盛儀を祝う立太子奉祝記念大行進の時に、日本国旗とともに掲げられた。

 第一回全国大会をこの時は全日本ボーイスカウト大会と呼んだ。第二回全国大会は翌年、新宿御苑で国際復帰記念として開催された。第3回全国大会は1950年(昭和25年)8月山形県の蔵王山麓にて開催された。昭和三十一年(一九五六年)第四回全国大会が長野県の軽井沢で行う事が決まり、この全国大会からジャンボリーと名称変更され第一回日本ジャンボリーになる。

 「昭和四十六年(一九七一年)に日本でボーイスカウト世界会議が開催される時に陛下が銀狼章をつけられて開会を宣言されることを心から祈ってやまない」と言っていた村山有は、昭和四十三年(一九六八年)十二月死去で残念ながら銀狼章をつけられた陛下の姿に拝謁することは出来なかった。

この記事へのコメント

至道
2015年03月04日 08:58
戦後の「第一回ボーイスカウト全国大会」は昭和24年日比谷で天皇陛下をお迎えして開催されました。第二回ボーイスカウト全国大会は翌年の昭和25年に新宿御苑で「国際復帰記念」として開催されました。第三回全国大会は昭和26年に山形県の蔵王で「ボーイスカウト野営訓練全国大会」という名称で開催されました。全国大会は3年続いて開催されましたが第4回全国大会は5年後の昭和31年長野県の軽井沢で開催されましたがこの大会から「ボーイスカウト日本ジャンボリー」と名称変更して開催されました。開催時はポスターなどに回数は入れてませんが後にこのジャンボリーを第一回日本ジャンボリーとしました

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