村山有とボーイスカウト(13) 東京連盟葬での石坂泰三日本連盟総裁の弔辞

ボーイスカウトの機関誌『スカウティング』昭和四十四年(一九六九年)二月号に「村山有氏をしのんで」の特集があり、そこに昭和四十四年(一九六九年)一月十二日に挙行された東京連盟葬での石坂泰三日本連盟総裁の弔辞(友人代表)が掲載されていますので、そのまま再録する。


 「ボーイスカウト日本連盟常任理事、広報委員長、第十三回世界ジャンボリー準備委員会常務委員、東京連盟副連盟長、村山有氏は去る十二月三十一日午前九時三十分香港へ向け航海中、心筋こうそくのため六十三才で逝去されました。葬儀は一月十二日築地本願寺にて、東京連盟葬をもって行なわれました。」         

 ありし日をしのぶ   総裁 石坂泰三

 村山さん いまここにあなたと永遠のお別れをしようとは夢にも思いませんでした。
 あなたは、明治三十八年、進取の気性に富む在米日本人の二世として米国シアトル市に生まれ多感の少年時代を祖国日本の美しい山河にかこまれて過し、熱烈な祖国愛と質実豪快の気風を養い、また、米国サンフランシスコ市ゴールデンゲートカレッジを卒業するや、生来の正義感、使命感の赴くところ、在米日系新聞社の記者として、報道の第一線にたって活躍し、正しいニュースを伝えるとともに、紙面を通し在米邦人の地位向上に尽力され、米国各界にその人ありと知られました。

 昭和十一年、日本に在住するや、同盟通信社に入社、わが国報道界にあって、豊富な識見を生かして国際性のあるニュースを提供し、敗色濃いわが国のため、日本人として責務をはたしました。

 特に戦後の連合軍占領下にあっては、当時最も有利な米国市民権を放棄し、敗戦国日本の一市民として苦難の道を歩みながら、連合軍司令部に働きかけて、常に日本を理解させることにつとめ、対日政策の緩和に尽力したことは各界関係者のひとしく知るところであります。
 特に混乱した戦後の社会情勢の中にあって、祖国日本の復興は青少年の健全育成にありとし、大日本少年団連盟竹下総長の意をうけてスカウト運動の再建に全精力を傾倒されました。許可の申請に、連盟規約の制定に、スカウト隊の結成に、ジャパンタイムス社会部長の多忙なる本務をさいて、活動されたあなたの姿は、今も昨日のように想い出されます。

 昭和二十四年、ボーイスカウト全国大会の開催を契機としてわが国のスカウト運動の方向が定まるや、東京連盟の充実に努力され、昭和二十六年には東京連盟百隊結成記念祝典を挙行し、今日の東京連盟発展の基礎を築かれました。

 また、あなたは、得意の語学を駆使して世界ジャンボリー、世界会議に出席してスカウトの国際関係の確立につとめ、日本への理解を深めました。また、スカウト運動ばかりでなく、サンフランシスコ平和塔の建設と日米友好に尽くされた功績は数えることもできません。 わが国のスカウト運動を顧みるとき、ボーイスカウト日本連盟理事、東京連盟副連盟長、村山有、あなたをのぞいてこれを語ることはできません。

 特に、あなたが最も深い関心を寄せられた第十三回世界ジャンボリーの準備なかばにして、あなたを失ったことは、わが国のスカウト運動にとって、世界のスカウト運動にとって誠に大きな打撃であり、また、最後までスカウト関係資料作製のためタイプをたたかれたというあなたの心中を思うとき、正にこれをいい表すべき言葉もありません。

 村山さん、見てください。あなたの育てたスカウトが、あなたが守り通した神鏡を型どったスカウト章をいただいて、あなたの永遠のキャンプ行を送ろうとしています。
 あなたが最も心にかけられた世界ジャンボリーはこのスカウトたちがなしとげます。そして、あなたが最も愛した祖国日本の次代を担うのです。

 村山さん、わたしたちはあなたのあの笑い顔、強い握手、大きな声、ありし日のあなたを思いながら、お別れをいたします。

 村山さん、安らかに眠ってください。さようなら                           

(『スカウティング』昭和四十四年(一九六九年)二月号・通巻一八七号)

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この記事へのコメント

坂本正志
2006年10月31日 01:05
三島総長の思い出と、村山先生の弔辞を一纏めにする誤りがあり、二分割致しました。

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