村山有とボーイスカウト(11) 一〇、ボーイスカウト東京連盟葬(築地本願寺)

一〇、ボーイスカウト東京連盟葬(築地本願寺)

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 村山有は、昭和四十三年(一九六八年)十二月三十一日、六十三歳で死去。昭和二十七年(一九五二年)六月、日本連盟相談役になってからは永年スカウト運動の第一線から離れていたが、翌年、第十三回世界ジャンボリーを日本に誘致する世界会議に世界各国のスカウト仲間から呼ばれ、出席のため渡航中、香港に向かう船中で亡くなる。

 生前親しくしていた出光石油の店主・出光佐三氏、当時の運輸大臣・原田憲氏等のご尽力で水葬を免れ、香港で荼毘に付された。香港ボーイスカウト連盟で追悼式が行われた。その追悼式で使用された二本の垂幕を頂いて、東京連盟葬にも使用した。

 昭和四十四年(一九六九年)一月十二日、東京・築地本願寺にてボーイスカウト東京連盟葬が行われた。葬儀委員長は久留島秀三郎日本連盟総長、友人代表は日本連盟総裁の石坂泰三氏、導師は村山家の墓がある北鎌倉・円覚寺の朝比奈宗源管長により執り行われた。

 弔辞は久留島総長、美濃部東京都知事、友人代表で石坂泰三日連総裁、東京西ロータリークラブ鈴木達雄会長、ガールスカウト日本連盟伊藤幸子会長、ボーイスカウト代表で東京七〇団スカウトなど。最後に葬儀参加者全員で「永遠のスカウト」斉唱で葬送された。戒名は朝比奈管長が、故人のボーイスカウトの奉仕の精神を容れ「同仁院奉仕大有居士」と付けた。

 また、政府から「故人のボーイスカウト運動の発展に尽くすとともに、社会教育の振興に寄与し、新聞人として、わが国および海外事情の紹介に寄与した功績」により「従五位」「勲四等瑞宝章」が贈られた。

 (当時の村山は、東京連盟東京149団団委員長、同青年隊早稲田ローバース・クルー隊長。現在、同団は新宿第2団である)

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