村山有とボーイスカウト(10) 九、仏教章、日本富士スカウトクラブ・FSCJ ( FUJI SCO

九、仏教章、日本富士スカウトクラブ・FSCJ ( FUJI SCOUTS CLUB of JAPAN )

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 外国のジャンボリーなどのスカウト行事には必ず野外礼拝があり、各宗教の記章がある。昭和三十五年(一九六〇年)五月、松山市で開催されたボーイスカウト全国会議で、村山有は「ちかい」の中に、「神(仏)と国とに誠を尽くす」とあるので、スカウト宗教章をと提議し、日本で最初の宗教章として「仏教章」が設定された。 

 米国連盟よりオーダー・オブ・アロー章を授与され、日本でもオーダー・オブ・アロー章(OA章)の日本版を検討していた。米国のインディアンの儀式が日本のアイヌの儀式と似ている事に気付き、セレモニーや歌などの部分を長年研究し東京七〇隊の行事で使用していた。また、早稲田ローバースやゴールデン・アロー等にもアイヌについての研究テーマを与えていた。また同時に米国イーグルスカウト会(NESA)の日本版を作る準備もしていた。

 昭和四十三年(一九六八年)、富士スカウトの永久記章を作るため米国のNESAとも交流し、内田二郎、尾崎忠次、嘉悦一郎、臼井茂安、などの各氏と検討していたが、志半ばで亡くなった。翌年の昭和四十四年(一九六九年)白橋龍夫氏が遺志をつぎ、日本富士スカウトクラブ( FUJI SCOUTS CLUB of JAPAN ~ FSCJ )事務局を東京八丁堀の(株)白橋印刷内に置いた。富士章取得者に正しいスカウト運動の歴史を教えるために日本オールドスカウトクラブの会合に奉仕させ、諸先輩方の話を聞かせることをひとつの目的とした。後に、東京都中央区の青少年団体として登録し、会員証番号は富士の進級証明書の番号を使用している。クラブ章は村山有のスケッチを採用した。 発足当時の役員は名誉会長に白橋龍夫氏、名誉顧問に尾崎忠次氏、客員に内田二郎氏、臼井茂安氏、島中俊雄氏、R・ウィドマン氏など。その後の会長は尾崎氏、島中氏が推戴される。現在の会長は昭和二十八年(一九五三年)米国ジャンボリー派遣隊隊長の大石和夫氏、世話人代表は早稲田ローバースOBの幸田雅夫氏。 現在の会員資格は、旧規定の富士スカウト章取得者を原則として、情報交換や相互啓発をしたり、日本オールドスカウトクラブの東京での会合やジャンボリー視察などに奉仕活動をしてきている。

 スローガンは Ever Onward = 最残を尽くせ! 限りなき前進! で、「目標、理想の峰を目指し自己研鑽<Self Scouting>する」として各自が啓発をしている。会合は日本記者クラブなどで不定期に集まり相互啓発をしている。また、スローガンの通り富士スカウトの自覚を持ち、個人のプロジェクトでの社会への奉仕を期待している。

 クラブ章は村山有のスケッチを採用した。また、また、会報「スカウト・ブロス」平成元年(一九八九年)二月一日号では、昭和六十三年(一九八八年)一月九日の昭和天皇崩御についての特集を掲載。昭和三年(一九二八年)十一月十日「天皇陛下御即位の大礼」や、昭和二十四年(一九四九年)戦後初の全日本ボーイスカウト大会でのお写真などをどこよりも早く掲載した。同号では、客員の内田二郎氏の訃報も同時掲載となった。内田氏は明治三十年(一八九七年)生まれで、弥栄少年団隊長、昭和二十八年(一九五三年)箱船児童館設立、昭和四十八年(一九七三年)勲五等瑞宝章を授章、昭和六十三年(一九八八年)十二月二日に亡くなられた。


この記事へのコメント

至道
2008年10月15日 07:17
写真の説明が不足しているようですね。

この写真はソートレイク市でOAを貰った村山有氏(中央)
右はソートレイク市の笠井喜彦氏(松本市名誉市民)
左は笠井氏令嬢アリス氏
至道
2012年02月28日 22:23
米国ではジャンボリー期間中に必ず日曜礼拝がありスカウトは地元の教会に行くようにジャンボリー大会中でも決められた場所で礼拝を行っている。それを見ていた村山有氏に、日本で1956年(昭和31年)第1回日本ジャンボリー(長野県軽井沢)を行う時に、参加国から国際担当の村山氏に日曜礼拝の問合せが多くあった。
各国の要望に合わせ日曜礼拝の予定を入れ、日本の「ちかい」にも 神(仏)と国とに誠をつくすという言葉があるので、仏教関係者のリーダーを集めて大会中に仏教の日曜礼拝を行なった。その後、日本でのジャンボリーでは必ず日曜礼拝が行われる様になった。

信仰心について北鎌倉円覚寺の古川堯道老師や朝比奈宗源管長などと人間誰でも信仰心を持つ事は大切で、その信仰心から親を敬うことや、国を愛する事が出来るとたえず話し合っていた。
古川老師や朝比奈管長はアメリカ桑港留学の折に村山有氏の母堂の産院に滞在して米国人の生活習慣等をまじかに見ていた。朝比奈宗源管長は人間は信仰心が必要で子供の時からの生き方が大切だ。従ってボーイスカウトでも日曜礼拝などで信仰を教えて欲しいといい、同じ考えの村山が36年5月松山市で開催された日連全国総会で仏教章の提案をし制定された。ボーイスカウト仏教章の提案は村山だが、発案の地はまさに北鎌倉円覚寺でる。

後に朝比奈は宗教は仏教も外国の宗教も同じで、同じ目標の山に向かって登って行く道だけがそれぞれであり宗派を超えた一つの宇宙的な宗教になったら良いと言っていた事がある。
おくろ
2015年01月24日 20:05
はじめまして。
私は遠い昔【はこぶね児童館】を卒園した者です。
ふと、おじちゃま先生(内田二郎氏)を想い出し検索してみたところ、こちらのページに辿り着きました。
おじちゃま先生(内田二郎氏)の授章の事は子供心にもよく覚えておりますが、この記事にある昭和50年ではなく、昭和48年でした!!
授章の日に皇居で撮られたお写真と、翌日ご自宅で賞状を手に撮られたお写真が手元にあるのですが、どちらも自筆で年月日とお名前が裏書されており、
【昭和48年11月13日 賜謁の日】【昭和48年11月14日 賜謁の翌日】とあります。
至道
2015年01月25日 18:34
内田二郎氏はボーイスカウトの歴史を語る時に
お名前は外すことが出来ません
先生の叙勲の年度が昭和50年とありますが昭和48年ですとお孫さんの「おくろ様」よりご連絡をいただきましたので訂正します

内田氏は戦前から少年団日本連盟の役員で1935年の第1回米国ジャンボリーに少年団日本連盟派遣団の団長として米国に派遣されました
また戦後のボーイスカウト再建時には日本連盟の役員としご活躍され指導者講習会では毎回講師をされ沢山の後継者を育成されました

最近ではお名前を聞くことが少なくなりましたがボーイスカウトの歴史では忘れてはいけない先生ですので
ぜひ先生のお名前を覚えて下さい
2015年01月26日 00:07
おくろ様、至道様
 ご指摘の勲五等瑞宝章受賞日を、おくろ様ご指摘の年に修正させて頂きました。ご指摘、ありがとうございました
おくろ
2016年07月20日 22:23
至道さま 坂本正志さま
 お邪魔いたします。
私は、(残念ながら)孫ではなく、
昭和39年秋~昭和42年3月まで
はこぶね児童館に通わせていただいていた者です。
当時、はこぶね児童館の園児たちは
「おじちゃま先生」「おばちゃま先生」と
呼んでおりました。

おじちゃま先生(内田二郎氏)の授章の
折のお写真を添付させていただきたく思いましたが、方法がわかりません。
ご教授いただけましたら幸いです。
坂本 正志
2016年07月21日 11:47
おくろ様

 コメントありがとうございます。
 残念ながらこのブログでは、コメント欄に写真を掲載
する機能がありません。お手数をおかけしますが、下記
アドレスへお写真をメール添付でお送り頂ければ、ご紹
介させて頂きますのでよろしくお願い致します。
sakamoto@be-prepared.jp

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