村山有とボーイスカウト(8) 七、『ベーデン・ポーエル伝 』 ~ 『 THE TWO LI

七、『ベーデン・ポーエル伝 』 ~ 『 THE TWO LIVES OF A HERO 』、BP一家との交流

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  昭和二十四年(一九四九年)からべーデン・ポーエル(BP)夫人オレーブさんと手紙をやり取りしたり、渡英時には訪問したりして交流があった。また、息子のピーター氏とも交流していた。ピーター氏が英国国会議員団で来日した時にも三島総長と大歓迎をした。 また、昭和三十三年(一九五八年)の渡英の折にBP家を訪問した。ピーター氏は三島総長の写真を尊敬する人として飾ってあった。

 昭和三十九年(一九六四年)BP夫人が来日した折り、編集中の『べーデン・ポーエル伝』~『 THE TWO LIVES OF A HERO』の翻訳希望を伝えて夫人の了解を取る。『BP伝』の共著者ウイリアム・ヒルコート氏にも夫人がお願いしてくれて彼からも翻訳権を獲得した。
 ウィリアム・ヒルコート氏は村山が米国でシフ・ナショナル・トレーニング・スクール(シフBS専従指導者訓練所)にいた時の教官であったという事もあって、快諾し、喜んで協力してくれた。翻訳以外に、戦前の明治四十五年(一九一二年)のBP卿来日時の資料を入手し、原著の翻訳版に追加する許可を二人からいただいた。BP夫人は来日時の日記やスケッチ等の資料も村山に提供してくれた。

 村山は戦後、東京都連盟理事長の時からベーデン・ポーエル卿の英語の発音にはこだわっていた。都連から発行していた『スカウティング』でBPについて書くときは、「ベーデン・ポーエル」としている。今回、夫人のオレーブさんにBP卿の氏名の発音も再確認し日本語表記を『ベーデン・ポーエル伝』~『 THE TWO LIVES OF A HERO』とした。

 昭和四十一年(一九六六年)九月、第十九回ガールスカウト世界会議へのBP夫人の来日に合わせて、玉川大学の小原文庫から出版する準備をしていた。
 しかし、当時の久留島総長よりボーイスカウト創始六十年記念事業で発行希望の依頼があり、翌年の昭和四十二年(一九六七年)七月二十日に、パウエルではなく「ポーエル」を条件にして日本連盟より定価二百二十円で出版した。

 創始六十年記念の出版なので、当時の総長、久留島秀三郎氏は『BP伝』巻頭に、「べーデン・ポーエル伝は、レディ・べーデン・ポーエルとウイリアム・ヒルコートの共著であるが、ボーイスカウト日本連盟理事村山有君がその翻訳権を獲得し、完訳したのであった。原書と多少異なる点は翻訳者が原作者の協力により、べーデン・ポーエル卿の日本に関する正確な資料を収集してその中に収めたことである。翻訳者が一九一二年に、べーデン・ポーエルの日本訪問時の日記、スケッチ等を収録したことは、この記念刊行物の意義を一段と高めたものであると思う。刊行にあたりその労を感謝し、べーデン・ポーエル卿とボーイスカウト運動に対する認識の一層高まることを期待する。」と書いている。

 日本でのBP卿の資料が加わった『ベーデン・ポーエル伝』が出来て、夫人のオレーブさんは巻頭に「村山有氏から日本語に訳したい申し出があり、私は喜んでヒルコート氏と出版社に伝えました。一日も早く本となリ私の夫の生涯、仕事、青少年運動の成功、思想などが一人でも多くの人に知られ、理解されることを望んでいます。」とよせている。

 また、W・ヒルコート氏も「私は五年を費して『べーデン・ポーエル伝』を書いた。昭和三九年(一九六四年)の秋、日本を訪問したレディー・べーデン・ポーエルから、村山有氏が翻訳の希望ありと推薦してきた。彼は私の旧友であり、シフ・ナショナル・トレーニングスクールでは私の生徒であった。私は翻訳について快諾した。翻訳に対しては村山氏から日本関係の資料を入れたい申し出があり、私としてはもちろん喜んで協力した。この書を通じて日本のスカウト関係者は、べーデン・ポーエル卿の偉大なる人格に接し、スカウト運動の理想が世界に広く伸びて行くことを望むものである。そして多くの人々にインスピレーションを与えることを望んでやまない。」と、共に喜びのことばを巻頭に書いている。

 『べーデン・ポーエル伝』でのBP卿の氏名の表記「ポーエル」は訳者死去後、昭和五十年(一九七五年)六月二十日の改訂版では、夫人オレーブさんの希望に反して、なぜか「パウエル」に変えられてしまった。

 昭和63年(一九八八年)四月に日本連盟は訳者村山有の『BP伝』を定価五百円で増刷しているが、同じ「ポーエル」ではなく「パウエル」となっている。ガールスカウト日本連盟のBP卿の表記はすべて「ベーデン・ポーエル」となっている。因みに日本マスコミ界では昭和五十五年(一九八〇年)、後の米国大統領レーガン氏の名前を本人の希望で、それまでの「リーガン」から「レーガン」に変更した例がある。 平成四年(一九九二年)十月二十八日に、某出版社からBS関係者監修で『べーデン・パウエル』という伝記の本が、定価三千八百円で出版された。この本は昭和五十六(一九八一年)W.ヒルコート氏から日本語訳出版を薦められたと書いている。BS日本連盟発行の村山有訳『BP伝』は昭和六十三年(一九八八年)の増刷発行以降なぜか絶版となっている。
 なお、昭和四十四年(一九六九年)W・ヒルコート氏より村山有夫人に御悔やみの手紙がきて、その文章の中にBP伝があって本の印税が入るので少しでも生活の足しになるので良かったと書いて来た。しかし、村山と日連には印税は発生していない。村山は日連から出版する事だけを喜んでいた。

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この記事へのコメント

至道
2014年12月16日 22:38
BPがノーベル賞の候補になっていたが第一次世界大戦が起こりノーベル賞の受賞が1939年は流れてしまいました。1941年1月8日にBPが亡くなってしまいノーベル賞の受賞が出来ませんでした。あと少し長生きしてくれてば平和賞にBPの名前が刻まれたでしょう。残念。
坂本 正志
2014年12月17日 00:56
至道さん
 ネットで記録を調べたり、又は資料を頂戴したりしながら頑張って見ました。しかし、分かり切った事ですが、真相は不明です。私たちボーイスカウトにしてみれば、頂戴したも同然。後藤新平・新渡戸稲造さんたちが財団へ送った推薦状も見る事が出来ましたし、楽しい数日を送る事が出来ましたよ。
 色々と検索する中、amazonでベーデン・パウエル伝を発見しました。先ほど発注しましたが、送料込みで千円弱です。届いたら、絶版となった村山有さんのご本と比較して見ようかと思っています。

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