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zoom RSS 【BSトリビア】 戦後BS再建時にGHQ(連合軍総司令部)と交渉した日本側担当者

<<   作成日時 : 2015/05/03 13:29   >>

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 往々にして、歴史が書きかえられる事が多いのはご承知の通りです。編集した人物やそれを指示した方の都合良きようようになるのはご承知の通り。我がボーイスカウトでもその例にもれず、例えば連盟史でも「おや?」と思う事がしばしば。このブログの何処かにも、日本連盟の度重なる移転が正しく伝えられていない事は書きましたが、このような客観的な事実すら正しく使えられていない訳で、だれが何をしたのかなどは周囲を見渡し、どなたもいなくなった頃合いを見計らって「ああ、あれはオレが最大の功績者!」と編集者へ伝えれば良い。かくして歴史は、どなたかのご都合のよろしきように書き換えられる事もある…。

 戦後のボーイスカウト再建に多大な功績のあった村山有先生が評価されていない事に、私は疑問を持っています。村山さんがいらっしゃらなければ、ボーイスカウト運動再建はならなかった。エリート養成を意図する旧少年團関係者と米国流のボーイスカウトを考える方々との間に確執の様なものがあり、恐らくはそれが原因だとは思うのですが。

 そこで当時の事情に詳しい方へ、改めて村山先生に付いてお訊ねをしたのですが、こんなお返事がメールでありました。その辺りに「積んでおくだけ」状態の、当時の日本連盟役員名簿も見つけましたので、あわせてご紹介を。本家連盟史と張り合う意図は毛頭ありませんが、ご参考までに。(注:)は私が付け加えました。


 題して"[BS=トリビア] 戦後BS再建時にGHQ(連合軍総司令部)と交渉した日本側担当者"

米国生れで米国籍(注:終戦直後、日本国籍を取得)の村山さんは、米国のロー・カレッジで学び、戦前は日本のAP通信社に勤めていた。戦時中、村山さんは連合軍の捕虜を使って対外放送(注:東京ローズ)をやらせる文化キャンプの通訳を命ぜられていたので、終戦と同時に連合軍GIにより戦犯容疑で拘束されてGHQ総司令部に連行された。そこで偶然にも戦前最後の駐米大使として日米交渉に当たった知人の野村吉三郎大将が村山さんを見つけ、「どうしたのか?君が戦犯?」と言って近寄って来た。同時に文化キャンプ時代に対外放送で一緒に仕事をした当時の捕虜であった米軍のベッキー・ヘンショー少佐が来て「とんでもない、戦犯の筈は無い!」と助けてくれて、GHQ総司令部の高官達に紹介してくれた。

 その後、AP通信社時代の仕事仲間も来日し、彼等はマッカーサー元帥にくい込んでいて何かと元帥に進言してくれた。また、GHQの最高幹部に学生時代の友人や二世の旧友が次々に東京に乗込んで来たので、GHQ総司令部と本人が思っていない程の太いパイプが出来た。

 戦後最初の総理大臣になった幣原喜重郎首相と村山さんは、戦前から親しく交際をしていた。太平洋戦争勃発時に幣原氏は親米派という事で監視されていた。また、村山さんもAP通信社に籍を置いていたのでスパイ容疑で取調べられた。終戦後、村山さんは幣原首相から呼ばれ「君はGHQとのパイプがあるので、マッカーサー司令部との間に立って密接な連絡をお願いしたい」という使命を仰せつかりマッカーサー元帥の最高副官ハフ大佐と連絡を取合った。

 戦後のボーイスカウト再建を少年団連盟第三代総長竹下勇海軍大将から「ボーイスカウトの再建は米国に通じている君に受けついで欲しい」と直接頼まれた村山さんは、GHQとの交渉を始めた。GHQ総司令部は日比谷の第一生命館に置かれ、幹部たちは日比谷の帝国ホテルに滞在していた。ホテルのすぐ裏手に村山さんの勤務する英字紙のニッポンタイムズ社(注:現ジャパンタイムズ)があったので、新聞社には米国新聞社の外人記者達が多く訪ねて来ていた。ニッポンタイムズには英字紙のためGHQ総司令部の情報などが多くあり、山本英輔提督、竹下勇提督、野村吉三郎大将などが良く村山を訪ねて来た。野村氏などは週三回位のペースで来ていた。

 マッカーサー元帥の最高副官ハフ大佐と親しくなっていたので、彼を中心に交渉し、占領下に於いて最初の青少年運動として許可をとった。また、マッカーサー元帥には当時としては唯一の名誉職「ボーイスカウト日本連盟名誉総長」を引受けてくれた。そして、日本連盟と東京連盟の本部を日本海軍将校クラブの「水交社」(現在のマソニック協会)に置き、マッカーサー名誉総長室も水交社に設置した。

 戦後、マッカーサー元帥はじめGHQ総司令部の多くの高官が友愛団体(Freemason)のメンバーだった。村山も、マッカーサー元帥が加入していた友愛団体の最初の日本人メンバーだったので、ボーイスカウトの再建も順調に出来た。当時の日本人メンバーは参議院議長の佐藤尚武氏、ジャパンタイムズ社長の東ケ崎潔氏、同編集長の芝均平氏、ボーイスカウト日本連盟総長の三島通陽氏、総理大臣の鳩山一郎氏らが加入していた。なお、戦後GHQ総司令部が没収して後に返却されなかったのは、この友愛団体が使用していた水交社ビル(マソニック協会所有)だけである。

 対外放送での戦犯容疑でGHQ総司令部に連行された時に、偶然にも野村吉三郎大将や米軍少佐のへンショー君が現れたのはなぜか判らないが、運命を感じてそこから日本再建のため全力を尽くそうと決心したと書き残している。また、日本のボーイスカウト再建の為に特に働いた人は、三島通陽氏を中心に岡本礼一、内田二郎、関忠志、中島睦正、米村輝国などの各氏である。当時GHQ総司令部の意向を打診しつつ規約等を作成し、米国の「ちかい」「おきて」を日本の言葉に会う様に翻訳し占領下で日本の国情を理解させ一字一句論争の末作成するという作業は、当時は大変な事であった。「後からきて再建者の苦労を知らずに批判する事は極めて楽だ」と村山は後に書籍「終戦のころ/時事通信社発行」に書き残している。

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